10月15日にTEACCHプログラム研究会 香川支部 公開講演会「教育現場における合理的配慮とは ~自閉症のある人の気質を考えて~」(講師:坂井聡氏)に参加しました。
まず、『障がい』について、以前は機能障がい→能力障がい→社会的不利の一方通行で考えられていましたが、最近は活動の制限や参加の制限を障がいと捉えており、特別な物から「誰もが持つ状態としての障がい」とのお話がありました。車いすの人であれば、移動を妨げる階段が障がいであるし、自閉症の人にとっては特性に配慮しない周囲の人こそが障がいと言えます。
そこで私たちには合理的配慮が求められるのですが、学校現場では「他の子どもと平等に教育を受ける権利を享有・行使することを確保するために、…障がいのある子どもに対し、その状況に応じて、学校教育を受ける場合に個別に必要とされるもの」とされており、これは一律の教育、支援を行うのではなく、必要に応じて特別扱いしてくださいと言えるものです。
本人の力が定型発達の人より少なくても、支援によって引き出される力と周囲の理解によって引き出される力が合わさることで、定型発達の人と遜色ない能力を発揮することも可能となります。障がいがあってもできることがある。何ができるのか、できることで変わることがあるのではという視点で支援することが必要です。
そして、できることを分かりやすく伝えるために構造化があります。しかし、伝えられ、やることが分かってもやりたくないこともあります。自分からやりたいこと、やりたくないことを伝えられることを経験する必要があります。このコミュニケーション能力を伸ばそうとする支援がまだ十分とは言えない状況です。
まだまだ「あなたはあなたでいい…はずなのだけれどね」と言わざるを得ない現実があります。自閉症の人はどうかんがえているのだろうか、何に困っているのだろうかを考え、そして「私」が変わることから始めましょう。
講演を聞いて、自閉症の人に限らず、正しいコミュニケーションの手段を持たない人が(かんしゃくや自傷、攻撃などで)ノーと示した時、それを許さず、どうにかして意に沿わそうとするというのはあり得ることだな、と思いました。例えばこちらがその人の嫌いな食べ物を出したにもかかわらず、かんしゃくという形で拒否を示したために問題行動として捉えられる。でもこの場合正すべきはその人の食べ物の嗜好を把握していなかった側であると思います。そして、その人にかんしゃく以外にノーと言える代替手段を身に付けることができるように日頃から練習をしたり、環境を整えたりが大事であることを改めて感じました。